縫い子さんの日がな一日(改)

「若き職人」の称号を返上しつつ、中々、「熟練の職人」になれない田舎の仕立て屋さんの日がな一日

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気分! 一新!!

怒涛の5年。
5年前。2008年は、家族4人で、怒ったり笑ったりしながら過ごしていました。
5年後。2013年。家族は3人になりましたが、ひとりの新しい命が芽生えました。

震災時、妹のおなかにいた子が、もはや、1歳です。

震災は、当方に大きな被害はありませんでした。
2011.3.11の午前11時の飛行機に乗って、両親は田舎へ法事へ行きました。
まるで、その日、その時間に、そのことが起こるのを知っていたようなタイミングで祖母が亡くなったのです。

仙台空港に停めてあった車一台が流され、5ヵ月後、役所からの通知で廃車手続きをかねて、空港近くの瓦礫置き場に、車の確認に行きました。

その近く。
同級生が勤めていた駐車場があります。
友人知人で亡くなったのは、彼一人でした。

一人の同級生の親戚3家族が家を流され、同級生の家に転がり込んできたそうです。
3家族が一軒の家に住むことがどれだけ大変か、私には分かりません。
彼女が声を落として、避難所に移ってくれと頼んだ。という話を聞いて、言葉がありませんでした。

太極拳で一緒のおばちゃんは、一年で二桁のお葬式を出したのだそうです。
一年で、二桁です。
葬儀屋でもあるまい、一般の人が二桁のお葬式など、尋常ではありません。
その異常な状態が、あの時の普通だったのです。
折角、助かったのに、避難生活のストレスで体調を壊し、亡くなったお母さんのことも聞きました。
まだ見つからない、弟さんのお嫁さん。一家で流されてしまった親戚。
あんまり滅入るので、気分転換に、太極拳にきちゃった。と、ことさら明るく話されていました。

震災をきっかけに、いろんなことが変わりましたが、よい方向にいったこともあります。
音信不通だった姪っ子と連絡が取れ、交流が復活。
ケリはついていませんが、人間関係とはそういうものなのかもしれません。

こちらで交流の合った皆様とも、ちょっとずつ、また、楽しいお話が出来たら嬉しく思います。
長い間、不義理をいたしましたが、再びの、よろしくおねがいいたします。です(合掌

日記

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