縫い子さんの日がな一日(改)

「若き職人」の称号を返上しつつ、中々、「熟練の職人」になれない田舎の仕立て屋さんの日がな一日

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宮城県沖地震から35年

 もう、そんなになるんですねぇ・・・・・・。

 今日は、宮城県の県民防災の日。
 「宮城県沖地震を経験していない割合が45%を超えた」らしい。と、新聞に書いてありました。

 ちょっと待てよ。
 私が小学生の低学年で、ぎりぎり、記憶にあるけど、幼稚園、ばぶばぶしてた私より年下どもは、記憶なんかないんじゃ? それって、「経験した」うち?

 親が生々しい体験を語るから、間接的に経験してるようなものですか。

 記憶にある揺れと、実際の揺れとでは、記憶のバイアスがかかって、ある程度の歪みがあるとは思うけれど、東日本大震災の揺れと、比較すると、格段に、35年前のほうが揺れた。と、自分体感震度。
 その代わり、揺れてる時間は、震災のほうが5、6倍長かった、自分体感・・・・・・(ry。

 世界が終わるときって、こういうんだな。って、どこかで本気で死を意識した瞬間でした。
 35年前も、3年前も、津波の心配は一切しなかったけれど、35年前到達した「ゆりあげ」の数十センチの津波をふと、思うともなしに思い出したり。
 ラジオで、冷静なのに、必死さが伝わる「すぐ逃げろ。いいから逃げろ。とにかく逃げろ」という、アナウンサーの言葉に、家にとどまることを選んだ人を思いやったり。
 どの程度の津波が来るかは、想像できなかったけれど、それは、「来る」と思いました。

 ラジオから流れる、大丈夫。大丈夫。という声は、アナウンサー自身の家族に宛てたもののようにも、また、私だけに語りかけられているようにも思えて、暖かく、心強かったです。
 そのうちに、信じられないことをいうようになりました。

「若林地区の海岸に、200~300体の遺体が打ち揚げられている」
「南三陸あたりで、壊滅した町がいくつもある」
「南三陸は絶望」
「仙台空港壊滅」
「連絡の取れない自治体がいくつかある」

 ラジオの不思議なところは、信じられないことでも、どこかで信じてしまう「真実」が潜んでいるように思えます。
 
 35年前も3年前も、ラジオに、心を慰められました。
 小学生でも、四十路を越えたいまでも、心の持ちようは変わらないようです。

 県民防災の日。
 沢山の消えた命に、黙祷。
  そういえば。
 10年賞味期限だった乾パン。
 乾パンパーティをする前に、震災で役立ってくれましたよ@@
 
 そういうことだったのかな。
 賞味期限は、切れてたけどねv
日記

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