縫い子さんの日がな一日(改)

「若き職人」の称号を返上しつつ、中々、「熟練の職人」になれない田舎の仕立て屋さんの日がな一日

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初心に帰ろう!

 和裁を始めたとき、何も考えてなかった。
 最初に入った専門学校は、専門学校とは名ばかりの、時代劇などに出てくる縫製作業場のようだった。
 見てくれは、立派な建物であり、全寮制でこれまたご立派なカリキュラムとやらがあり、すばらしく立派な建前があった。どきどきしながら、ふたを開けてみたら、ひたすら、縫う。生け花とか体育の時間とかあったが、その授業を受けるとき、大変な度胸を要した。カリキュラムとは、タダの張りぼてだった。
 精神的に、「わたしたちは、縫い子です。ひたすら、まっすぐ、縫うだけの人生を送ることが幸せに繋がるのです。和裁、マンセー!!」という洗脳を受け、先生、先輩からは雲泥の贔屓を受けた。雲Levelならその学校での出世は約束されたが泥Levelなら、すぐにでも辞めないと、心身ともに病んでしまう可能性があった。
 そんなところを、3ヶ月ばかりでやめて、立派な職業縫製所に就職しなおした。
 そこは、仕事として着物の縫製を請け負う縫製所なのだが、針の持ち方から、鏝の持ち方、針の打ち方、糸の通し方、針さばき、糸捌き、布の扱い、その他、細々した何もかもを手取り足取り教えてくれて、さらにお給料までもらえた。
 初年度は、姉弟子さんたちの雑用、食事の支度、掃除、洗濯、お使い、何でもさせられた。
 いろんなことを学んだ。5年の見習い期間を経ても、まだ、足りなかったのでもう2年お世話になった。
 いろいろと考えることもあったけど、実り多き7年だった。
 

 和裁士になるには、和裁士会所属の縫製所、専門学校等で4年の実務経験をつみ、所定の検定を合格すると誰でもなれる。
 昔、お医者さんとそんな話しをしたら、医者だって、国家試験受かれば誰だってなれると、ぶっ放されたけれど、そのお勉強レベルは、「誰でも」の範疇が限定的である。和裁はそうではない。
 その時間は、人それぞれに濃さが違うし意味も違う。でも、4年、同じことをし続けることに、変わりはない。
 覚悟が違えば、その過程は変わってくるし、過程が違えば、おのずと結果も違ってくる。
 目指した先、志は違うかもしれないけれど、やってることは同じ。
 国家検定が2級であっても、1級であっても、針と糸をもって和服を縫製することなのだ。

 できる人と出来ない人の知識が違うのは当たり前だし、知ってることと知らないことがあって当然だと思うけれど、だからといって、それを理由に、知らない人を蔑んだり、馬鹿にするのは、仕事以前の問題だと思う。
 インターネットのワールドワイドな世界では、知識や知恵は共有されるところなんだと思っている。
 言葉の端々に、「あたし、こんなに知ってるのよ! あなたの知らないことを、こんなに知ってるし、こんなにがんばってるんだから、知らない人はかわいそうね~」というニュアンスがあっても、それが有益なものであるなら、黙っていいとこ取りしたらいい。無益なものであれば、鼻でせせら笑っていたらいい。
 自分のレベルよりも下の仕事の直しを、「尻拭い」などというのはあまりに傲慢でおこがましいことなんじゃないだろうか。そこに学ぶ事だってあるはずだ。

 上手く言葉に出来ないけれど、とりあえず、ブログに仕事のことを書くのはやめようと思う。
 そんなつもりはなくても、そのように受け止められる自分の未熟さと語彙のなさと勉強不足を反省して。
雑記

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